忍び寄る影
僕の名前は泉保明、この間まではニチロクという会社でトップセールスだった。
何時も、半月もしないでノルマを達成して残りの半月は、部下のノルマの手助けをする。
そんな生活をしていた。
外見もそこそこ良く、まぁ辛うじてイケメン、そう言えるかも知れない。
女性にもそこそこモテるが付き合っている暇はない。
トップでいる為には、残業をしなくてはいけない…僕は本当はそんなに優秀じゃない。
人一倍仕事をしているから、数字が上がっているそれだけだ。
「痛てててっ」
「泉先輩どうしたんですか?」
「いや、さっきから腰が痛くてさぁ」
「大丈夫ですか?」
「おい、泉! 腰が痛いなら早退して病院に行った方が良いぞ、今日は上がって良いから病院に行け」
「すみません、東条支店長」
「今月はもうノルマ達成しているんだから気にするな!」
「はい」
今月は支店の数字が良いから支店長もニコニコだ。
これが厳しい状況なら「腰痛? 甘えるな」と多分病院には行けなかっただろう。
外科に行き診察を受ける。
「多分、ただの腰痛で湿布張っていれば治ると思うけど? 気になる事があるから一応内科にも行ってみた方が良いかも知れないな」
「それじゃついでに行ってみます」
普段だと仕事で病院に行く時間が無いから、その足で地元の小岩井内科に行った。
「此処での検査の結果、血液検査の結果が異常なんです、腰に膿瘍が出来ているかも知れないから、紹介するから大型病院で検査して下さい」
「えーと何時行けば」
「今、連絡しますから、早い方が良いです」
「解りました」
「明日11時~予約が取れそうなんだけど、泉さん大丈夫ですか」
「はい」
今月は自分の数字も支店の数字も良い、休みやすくて良かった。
だが、これが大変な事の始まりだとはこの時の僕は知らなかった。
大病院へ
会社に連絡を入れて、次の日休みを貰った。
自分のノルマを達成していた事と有休が山ほどあったから簡単に休めた。
ニチロクは、会社としては真面な会社だ、しっかり休みもあるし、有休もある。
ただ、ノルマがあってその数字が高いから「実質休めない」だけだ。
ある意味、給料は良いけど、休みが殆ど取れず、ノルマがあるから残業は当たり前。
「給料の良いブラック企業」それが一番正しいかも知れない。
僕も最大の30日まで有休は溜まっていた。
実際には一日も使っていないから100日近く溜まってる筈だが上限が30日なので、30日を過ぎた分は「1日6000円」で会社が買い上げてくれた。
大型病院なんてもう何十年も来たことは無い。
小さい頃は体は凄く弱かったが、体質改善が上手くいってからは精々が風邪をひく程度。
「凄いな」
久々に来た大型病院は凄かった。
一回にはコンビニに洒落たカフェがあり、3階には綺麗なオーガニックのレストランが入っている。
診察が終わったら、何を食べようかと考えていた。
いざ、受付を済ますと、診療を受ける前に、血液の採取とレントゲンを撮ると言う話を聞き検査を受ける。
11時~の予約の筈が、混んでいたのか診察が受けれたのは12時30分を過ぎていた。
「血液検査の方の数字は、見ての通り幾つかの項目がとんでもない数字になっていますね、レントゲンに移っている腰の部分の黒い影、これが膿瘍です、結構大きいですね、この位になると入院しての治療が必要になります、1週間位の入院が必要ですが、何時から入院が出来ますか? あと、その前に胃の方に影があり、腫瘍が見つかりました、こちらの方も胃カメラとCRTで見てみたいのですが、検査の方はいつ位が良いでしょうか?」
思ったより、重症の様な気がする。
検査と入院が必要、此処までは解かった。
だが、腫瘍と言うのが気になる。
胃に腫瘍があると言う事はガンなのか。
「あの腫瘍と言うのは、何でしょうか?」
「腫瘍と言うと驚かれるかも知れませんが、良性と悪性がありまして良性なら別段問題がありませんから、まぁ検査しなければ解りません」
「そうですか」
結局、会社と相談して、1週間後の検査と2週間後からの入院を決め、この日は病院を後にした。
帰りがけに病院のレストランで食べる予定を忘れて、駅前の蕎麦屋でそばを食べた。
入院した時に読む為に古本屋で大量のライトノベルを購入してこの日は帰宅した。
検査
取り敢えず検査の日まで1週間あるので会社で働いている。
1週間の入院って事だがもしかしたら伸びる可能性がある。
1週間後の検査の結果も考えなければならない。
そう考えたら有休を極力減らさない方が良いだろう。
昨日あの後、胃カメラの際に細胞の方も調べる話を先生にされた。
何でも胃カメラの先に針がついていて、それで細胞の一部をとって検査するそうだ。
この際、徹底的にやった方が良いだろうからお願いした。
それはさておき、今日も僕は働いている。
ニチロクでの僕の仕事は墓石の営業だ、墓石とは言うが実際には霊園の販売。
電話掛けをして顧客を探して自分でアポイントをとり営業を行う。
朝のうちに電話で3件アポイントを取って置いたからこれから、自分の営業車、ミランに乗って訪問予定だ。
ちなみに全社員の中で軽自動車に乗っているのは僕だけだ。
決して虐めではなく、社内のキャンペーンで一か月に1千万以上の契約を取れば「好きな車(営業車)に乗れる」そういうキャンペーンで1千万を達成して獲得した。
ミランをお願いしてその代り方向音痴な僕は最高のカーナビを付けて貰う条件を付けた。
お願いした時の小林社長の驚いた顔は今だに記憶している。
「性能の低い車を選んだ人間は初めてだ、理由はあるのかな」
「都心だと小さい車の方が訪問が楽だし、方向音痴なので性能の良いカーナビが欲しいんです」
「成程ね、ベンツに乗りたいなんて話よりも、確かに真面だね、用意するよ」
こうして、この会社でただ一人の軽自動車の営業に僕はなった。
案外この会社は成績さえ上げていれば結構良い面も多い。
この日は3件の家を訪問して次の日曜日の案内を1件取り付けた。
自宅からの送迎なので成績は関係ないが、これで大手を振って会社に戻れる。
会社に戻って東条支店長に報告をすると大袈裟に「流石、泉だもう今週の案内を取り付けたのか」と言う。
これは周りにプレッシャーを掛けるパフォーマンスだ。
缶ジュースを2本持ち机に座り、電話営業をスタートした。
そんな感じで営業をこなしながら生活していたら、いよいよ検査の日となった。
最初に血液検査に並んで血をとって貰った、今の血液検査は昔と違い、ブースがあり番号で呼ばれたらそこに行く。
10人位分のブースがあるのに驚いた、しかも昔と違い羽のついた細い針で痛さは余り感じない。
随分と変わった物だな、前は注射器で普通に抜いていたのに…
それが終わるとCRT検査だったが、随分と待たされる、今迄に見たことが無い凄い装置に驚いた。
寝ている上をリング状の物が動いていく様はまるで未来の機械を彷彿された。
それが終わると胃カメラだったが、僕はなかなか飲めこめないので麻酔を使ってもらった。
針を刺すと聞いて怖さがあったが、痛みは無かった。
大型病院では大体、検査から1週間後位に診療を受ける。
だから、この日は先生に会わない…膿瘍の治療で入院する初日が診療日と重なっているのでその日に検査の結果も聞く事になる。
胃を針で刺したのでこの日は刺激物を食べてはいけない…近くのSABBUでサンドイッチとオレンジジュースを飲んで食事をし、入院に備えてまた本を買った。
GAST
入院初日、僕は必要な物を鞄に詰めて病院に向った。
その際にノートパソコンも忘れない、残念な事に病院にはWIFI施設は無いがパソコンの持ち込みは許されていたのでスマホに繋いでつかう必要がある、費用はかさむが仕方ない。
まずは受付で入院の手続きをして部屋に行く。
部屋は6人部屋の入口近く、窓際が良かったが選べないので仕方ない、角だったので良かったとしよう。
必要な荷物を全部横のキャビネットに詰めて、1000円のテレビカードを買った。
パジャマは普段は着ないので、病院でレンタルを頼んだ物に着替えた。
病院でテーブルもお願いしたので設置して、一階のコンビニで水を大量に買い、備え付けの小さい冷蔵庫に入れた。
暫くすると看護師のお姉さんが来て点滴をした。
点滴は車の付いた棒についていて自由に歩ける。
暫くテレビを見た後、診察の時間になったので一階に降りた。
内科の佐藤先生の診察室の前に並び順番を待った。
呼ばれてから中に入る。
「泉さん、膿瘍の方は今日から治療に入りますのでこのまま入院して下さい、ですが前回の検査で胃の腫瘍に問題がありましたので外科の小山内先生の方の診療を受けて下さい」
「はい」
そのまま、外科の小山内先生の診療を受けた。
「まず、泉さんの胃に5?大の腫瘍がありまして、これが芳しくありません」
「もしかして、癌ですか?」
「いえ、病理に回して調べた所GASTです」
「GAST?」
「はい、このままでは命に関わるので手術が必要です」
「あの、手術はどの位期間が掛かるんでしょうか?」
「そうですね良性で腹腔鏡手術で大丈夫なら2週間、通常の手術になったら1か月位は退院まで掛かります」
「そんなに掛かるんですか?」
「ええっ」
「あの、手術をしないという選択は」
「手術しないと、確実に死にますよ、また早く手術しないと悪化する可能性も高いです」
手術しないと危ないと言うなら、受けるしか無いなこれは
「それならお願いします」
「そう、それなら、手術の日程を組ませて頂きます」
手術の日程は1か月後、入院中に一緒って事じゃ無いんだな。
しかし、GASTって何だろう?
癌じゃないみたいだから、そんな大変な物じゃないんじゃないかな?
仕事の心配
膿瘍の入院中にネットで「GAST」について調べてみた。
癌じゃないと言う事だったけど、「ガン」だった。
漢字の癌とカタカナのガンで何が違うのか解らない。
ただ、このGAST「希少性ガン」と呼ばれていて凄く珍しいらしい。
調べれば調べる程、恐ろしい存在だった。
「癌じゃない」そう思って安心したけど…どう見てもまだ癌の方が良い、そう思える病気だった。
転移が速いし、何よりも再発率が高い。
腫瘍が5?以下ならまだ手術後、普通に暮らせるが、5?を越えていた場合は高額な治療薬が必要になる。
しかも、この治療薬が異常に高く、一昔前なら一か月に25万円も掛かり薬代が払えずに死を選んだ患者が多く居たらしい。
「ガスターズ」等、色々な方が頑張ったお陰で、この貴重な治療薬が限度適用を受ければ1か月6万円で飲める…これは凄く良くなった、そう思うしか無い。
調べれば、調べる程、絶望が押し寄せてくる。
つまり、もし、僕のGASTの腫瘍の大きさが5?より大きかったら、毎月6万円のお金が掛かるしその後3か月に1度MRIのお金で5万円掛かる…それだけじゃ無い、薬の副作用で漏らしたり、顔が腫れたりする。
もう真面に働く事は出来ないかも知れない。
半分人生が詰んだかも知れない。
僕には、家族がいるが、お金では全くあてに出来ない。
母と一緒に暮らして居る兄は「母の病気の面倒」を見るので手一杯だ。
父は亡くなる前にかなりのお金を残したが、母の面倒を見る兄の事を考えると頼る訳にはいかない。
母の面倒を見る=真面に働けない…だからこそ多少裕福であっても頼れないのだ。
もう1人妹がいるが、音信不通で連絡がまずつかない。
1人で生きていくのに手一杯だから頼る訳にいかない。
死ぬ程働いてきたから今は少しはお金はあるが、こんな環境になったら直ぐにお金が底をつく。
保険は幾つか入っているが、GASTは適応外も多いらしいから凄く心配だ。
膿瘍の方の治療は順調で1週間で痛みが無くなり退院した。
退院した翌日から会社に出社し、東条支店長に事情を話した。
「随分大変な事になっているんだな、俺は見捨てる気はないから安心しろ」
「有難うございます」
その日のうちに社長に話して貰えて、明日本社にて詳しい事情を聞きたい、そういう話だった。
次の日直行で本社に行った。
社長室に通されて話をする事になった。
「今迄頑張ってくれたから、今後も続けて貰いたい」
このまま続けさせて貰えそうだが、凄く気まずいと思う。
多分、僕は休みがちになる、ノルマが達成しないと休みにくい会社なのに他の社員の目が怖い。
最初は「病気だから仕方ない」そう思っていても問題が起きないとも限らない。
だから、僕は社長にCSに成りたいと要望を出した。
CSとはコミッションセールスの事だ。
確か、昔は販売金額の10%で募集していた。
つまり、200万の墓石を販売すると20万円貰える、その代わり電話代やチラシや資料は無料だが車持ち込みのガソリン代は自分負担というシステムだ。
「確かに昔は募集していたが、今は遣り手がいないから雇っていないんだが、確かに君の状況には向いているな、まぁ他の社員もやりたければ、移動しろと言えるから不平等じゃないな…良いよ、CSになる件は認めよう。 CSなら出社の義務も無いし丁度よいな」
まぁ、売れなければお金を払わないで済むんだから通ると思っていた。
ただ、社長は優しい事に、今僕が使っている車を10万円で譲ってくれるそうだ…多分これは社長なりのエールなんだろう、凄く有難い。
こうして仕事の心配を緩和した状態で、手術に挑む事になった。
1825日後に5割の確実で死ぬかも知れない。
入院して手術の前に色々な説明を聞いた。
その中でも一番嫌な話しだったのは、恐らく手術が成功しても「余命」がつく事だ。
その余命も「余命3年」とか「1年」なら良いが「5年後の生存率50%」という変わったもの。
本当に「余命3年」とかで闘病している人には申し訳ないが、その方が余程良いと思ってしまった。
もし、「余命1年~3年」ならもう働かないで自由にするという選択が出来るからだ。
だが、「5年後の生存率50%」では仕事を辞める訳にはいかず働かなくてはならない…
正直、働き詰めで死んで行くのは嫌だな。
そう思った。
その二日後に手術を行い、結局腫瘍の大きさが大きかったので腹腔鏡手術では取れなくて途中から一般手術に切り替えたらしい。
その後、3週間、不味いご飯(病院のご飯が不味いのではなく、胃を取った為)とリハビリの日々を送り退院した。
これからは、1人暮らしに戻る、何でも自分でして頑張らなければならない。
こうして、僕の「1825日後に5割の確率で死ぬ日々」が始まった。
母が犬を飼った
母に呼び出された。
「犬を見に連れてって欲しいの」
笑顔で母は僕に言った。
うちの母は病気で「寝たきり」ではない。
癌を患っているが治療が済んで、いたって元気だ、体を動かすのが苦手な分物欲が強い。
父がお金を残したのを良い事に、ブランドに宝石色々買い漁っていた。
そんな中で急に欲しくなったのは「犬」だった。
僕は母が犬を飼うのは反対だ、過去にマルチーズ、柴犬、パグ、結局、最初だけで面倒を見なくなり、最後は僕や家族が面倒を見ていた。
だが、兄夫婦はしつこく言われていたらしく、とうとう最後は根負けして小型犬なら「飼って良い」と許可したようだ。
「それで何で僕が」
話を聞くと、本当は今日兄に犬を飼いに連れて行って貰う筈が急な仕事で不駄目になったそうだ。
だから、ペットショップに連れて行って欲しい、そう言う事だった。
病み上がりで寝ている僕に良く言うな…そうは思っていても言っても無駄なので車で連れて行く事になった。
大型のペットショップを数件梯子して、母は2件目でチワワとフレンチブルドッグが気に入り、どちらにするか考え込んでいた。
「保明、フレンチブルは小型犬よね」
「いや、どう見ても中型犬だと思うけど」
「この子が気に入ったんだけど、約束が小型犬と言う事だから文句言われちゃうわね」
「流石に怒られるよ」
会話を聞いていた店員さんがこちらに声を掛けてきた。
「あの差し出がましいとは思いますが、フレンチブルは小型犬ですよ」
「そうなんですか?」
「はい、チワワとかトイプードルは超小型犬です」
驚いた、本当に分類がそうなっている…多分、兄貴夫婦は間違っていたんだ…
「小型犬なら問題無いわね、それじゃこの子下さい」
「はい」
母が欲しがっていたフレンチブルは体調が良かったのでその日のうちに連れ帰る事が出来るそうだ。
値段を見たら28万円だった。
飼育器具やら当座のエサ代金にペット保険、ワクチンも入れたら全部で40万も払っていた。
犬って凄くお金が掛かるんだな、本当にそう思った。
しかし、良く飼うよな、多分最後は兄夫婦が面倒見るんだろうな…
ホクホク顔でワンコを抱いている母を見ながら、兄夫婦の大変さを思った。
生まれて初めてワンコを買った。
駄目だ、母親をペットショップに連れて行ってから僕もワンコが欲しくなってしまった。
今迄の人生で僕はワンコを買った事が無い。
飼育経験は山程あるが、それは母親に押し付けられた物で自分で買った物ではない。
元からワンコの好きな気持ちに火がついてしまった。
幸い、今迄と違い、CSだから幾らでも時間はある。
仕事の帰りや合間にホームセンターやペットショップに寄った。
うん、どの子も凄く可愛い。
はっきり言って、購入する予定の子は超小型犬だ。
チワワにトイプードル、ヨークシャテリア、マルチーズ、その辺りで考えている。
しかし、昔と違って、随分高いんだな。
偶に安いワンコも居るけど、中型犬が多い。
それでも、5万円位はしている。
実際のワンコは5万円のワンコでも、ワクチン代だ、何だかんだ取られて10万円前後になる。
そこから飼育器具やエサを買って、保険に入ると大体20万円弱にはなるんだな。
お金は余り気にしないが、安いに越した事は無い。
そんな風に色々な場所に見ていたら、あるホームセンターに変わったワンコが居た。
別に見た目は変わって無いが、他のワンコがショーケースに居るのに、1匹だけサークルの中に居た。
勿論、他にもショーケースに入っていないでサークルに居るワンコは居るが、他のサークルに居るワンコは複数いるのに、この子だけが1匹だけ入っている。
何でだろう? 凄く気になった。
「あの子の子、何で1人で居るんですか?」
「ああっその子ですか?その子は犬見知りするんで他のワンコと一緒に出来ないんですよ」
「そうなんですか?」
「はい」
黒に白のブチで可愛いな…えっ何でこんなに安いんだ
「あの、1万2千円って間違いですよね12万円ですよね」
「いえ、1万2千円で間違いないですよ」
「あの、病気とか何かあるんでしょうか?」
「有りませんよ、この子は6か月なんで安いだけです」
犬種はチャイニーズクレスデットドッグとチワワのミックス、チャイニーズクレスデットドッグって何だろう。
「あのチャイニーズクレスデットドックって何ですか」
「チャイクレは変わってますからね」
図鑑を見せてくれた…本当に変わっている、同じ犬なのに「毛が無い子」と「毛があってマルチーズみたいな子がいる」
「本当に同じ犬なんですか?」
「はい、別の犬みたいでしょう? この子の場合はパウダーパフ、毛のある子に近いですね」
抱っこさせて貰ったらいきなり顔を舐められた。
話しを聞くと、お散歩も他のワンコに比べると少なくて良いらしい。
うん、この子が良い。
「この子でも良いでなく、この子が良い」
「この子を飼いたいんですが」
「解りました、それじゃ手続き致しますね」
「ついでに、飼育道具にエサ、保険もお願いします」
「はい」
こうして、僕は生まれて初めて自分の意思でワンコを買った。
こすまさん
さて、この子に名前を付けないとな、色々考えて「こすまさん」という名前にする事にした。
このこすまさんって名前は昔自分で書いていた四コマ漫画の主人公が「すまさん」だった、そこから考えて付けた名前だ。
僕の家は都心の小さな一軒家だ、だから、ワンコを買うのに問題はない。
最もたった7坪だから自慢にはならない。
そこに3階建てにして家を作って3DKにしている。
しかも再建築不可物件だから凄く安く手に入れた。
かってきたサークルにクレート等を設置して準備完了。
こすまさんに一番広い5畳の部屋をあげた。
ワンコを飼育するにあたって、まずは兄にお願いした。
自分が亡くなった後に、この家とささやかな財産をあげるから、こすまさんの面倒を見て貰う事。
まぁ小さいとはいえ売れば2千万にはなるから充分だろうし、兄夫婦犬好きだから問題無い。
相談してみたら。
「死んだ後の事なんて今は言うなよ、だけどちゃんと面倒は見るから安心しろ」
うん、これで安心だ。
しかし、ワンコって言うのは見ていて飽きない。
まだ、躾が出来てないから、おしっこもウンコもあちこちにするし、これからが大変だ。
だが、それが面白い。
1人でいると落ち着かなくなるから丁度良いかも知れない。
こすまさんは、年齢的にはもうお散歩も出来るから、明日から散歩もしないといけないし。
うん、忙しくなるな…楽しみだ。
こすまさんは散歩が嫌い
僕が「こすまさん」を選んだのには理由がある。
安いからだけではない、こすまさんがチャイクレとチワワのハーフだからだ。
チャイクレという犬種は「お散歩が少なくて良い」だから体の調子の悪い僕には最適の犬なんだ。
しかし、朝起きたら、うん物凄く大変な事になっていた。
トイレシートは引き千切られてあちこちに散らかっているし、ウンチは転がっているわ、おしっこだらけだわ。
酷いとしか言いようがない。
体の調子も良く無いのに、全く。
友達が「犬を飼う事は子供を育てるのと一緒」そう言っていたが正に同じだね。
シートをゴミ箱に入れて、ウンチをとっておしっこをふき取った。
そんな僕の気も知らないで、こすまさんは走り回っている。
まぁまだ子犬だから仕方ないな、ちなみにこすまさんは雌、女の子だ。
自分で言うのもなんだが、僕は女の子に、そこそこモテていて冷たい。
こんな事、他の女がしようものならポイだ。
「はぁ~全く、こすまさんはしょうがないな~」
全部、綺麗にかたずけして、フードをあげてから自分の朝食をとった。
さて、今日はこれから散歩だ。
だが、あれっこすまさんが歩かない、本当に「あたしは嫌なのよ」そう言いたげに一歩も歩かない。
頑なに歩かない。
ペットショップに電話を掛けてみた。
このショップは凄い事に、サービスで3か月間の電話相談サービスがついていた。
「どうかされました!」
「いえ、この間購入しました 1182番のワンコなんですが、散歩をしたがらないんです」
「そうですか?ちょっと待って下さい…ああっその子ですが、凄くお散歩が嫌いなんですよ、本当にワンコとしては珍しいですよね」
「それでどうすれば良いんでしょうか?」
結局、僕はアドバイスを受けてワンコ用のバギーを買った。
まぁ赤ちゃんに直せば乳母車みたいなもんだ。
仕方なく、嫌がるこすまさんを載せて近くを一周した。
本当は、こすまさんと行く筈だった巣鴨には自分一人で行った。
巣鴨にはとげぬき地蔵や延命地蔵がある。
まずは、駅からでて直ぐ傍にある、大仏にお線香をあげてお賽銭を入れて願い事をした。
勿論、願い事は「どうかGASTが再発しませんように」だ。
次にとげぬき地蔵尊にある「身代わり地蔵」に行った。
此処には身代わり地蔵というお地蔵さんがあって、タオルを買ってから治したい場所をタオルで拭けばお地蔵さんが代わってくれる。
そういう事だ。
勿論、タオルを買って胃のあたりを中心に洗った。
その後は本堂にお参りをして近くの屋台でお団子を食べた。
そのまま延命地蔵尊に行きお参りをした。
しかし、本来は神仏などそんなに信用してない僕が死に掛けると此処までするとは自分でも思ってなかった。
家に帰ると、こすまさんは相変わらずで部屋を滅茶苦茶にしていた。
うん、またかたずけないとね…
おしまい
「死にたく無いな」
そんな思いを抱えながらも生きて行かなくちゃならない。
小説を読んでも、何をしても面白くない。
そんななか、こすまさんを飼った。
不思議な事に僕以外は皆が「こすまちゃん」と呼ぶ。
だけど、僕は何故かこの子に敬語をつけて「こすまさん」と呼んでしまう。
今迄は毎日が楽しくて仕方なかったのに…今はただ毎日を生きているだけ。
何をやっても楽しく感じない。
死という恐怖を抱えた時点で、もう毎日が灰色にしか思えない。
何時死ぬか解らない毎日を過ごすのはこんなにつまらない物なのかな。
本当は、犬を飼う事の素晴らしさや、心の支えにどれだけなるのかを書きたかったが…どうやら僕にはその才能は無いようです。
ただ、言えることは、案外自分の命だけだと「どうでも良い」と自暴自棄になるが、「他の命」の存在があると「死ぬ訳にいかない」そうなる。
今の僕には、もう輝かしい未来は無いだろう…
だが、こすまさんの散歩があるから外に出るし買い物にも行く。
いまの僕には、こすまさんとこうして小説を書く事しか楽しみは無い。
バイクに乗る事も旅行に行く事、田舎暮らし…夢は全部無くなってしまった。
偶に泣く事もあるが、こすまさんが舐めてくれる。
これからも僕は「こすまさん」を飼育しながら小説を書く。
もし、僕が小説書かなくなったら…その時には、この世に居なくなった、そう思って下さい。
読んでくれた貴方にありがとう。
泉